先輩たちのストーリー

染谷修一/そめやしゅういち

東京都 出身、 昭和37年生

A型 、 みずがめ座

167cm ・ 65kg

好きな食べ物: 納豆

■繋がり

・宮島さん(初めの師匠)
・柳田修一(当時の職長)
・深津七郎
・柳田東一

図らずも巡りあった左官が、直感的に合っていた

-どんな子供時代でしたか?

東京生まれ千葉県野田市育ち。中学で先生にスカウトされ陸上部の長距離走へ。高校ではブロック大会や駅伝で入賞。スポーツ推薦で専修大学付属高校に入る。専修大学1年目の春に父が脳血栓で倒れ、長男なので一家を支えるために親戚の左官屋に弟子入りしました。それまでは左官仕事を手伝うことも一切なく、どういう仕事なのかも分かりませんでした。

-世界が一気に変わって、どうでしたか?

体を動かす仕事は自分に合っているな。と瞬間的に感じました。偶然なのか、血の必然か分かりませんが、合っていたからこそ迷わず続けてこれたと感じます。体力的には中高6年間陸上で鍛えていたことが効いていました。
2〜3年して叔父と深津七郎さんが知り合って、その繋がりで西谷の柳田班に出会いました。伯父のところはすっと年上ばかりだったので同年代の職人達は新鮮でした。小林兄弟・坂本・峯本・甲斐さん…そして修一さんが職長でした。ショッキングだったのは彼らが自分よりはるかに経験豊富で仕事ができたこと。悔しかった。左官はなかなかすぐには覚えられないし、壁塗れなければ職人じゃない。そこで仕事を覚えようと何でも聞き、休憩時間も観察に行ったり。家族を支えなくちゃいけないハングリーさに加え、競争心も大きくかき立てられました。

-海外での指導経験も積まれていますよね

40代前半に香港のテーマパーク、海の向こうは初仕事で自分の現地の方の指導役。通訳も建築用語を知らないのでコミュニケーションに苦労をしました。ある時、タバコを回して吸う現地の習慣を見て、自分は禁煙していたんですがその輪に入ることで打ち解けるきっかけになりました。日本でやっていることがすべてじゃない、正解じゃないと知りました。日本のやり方を押し付けても上手くいかない。定規の張り方も材料も違います。理にかなっていなくても現地の手順でやった方が上手くいく。上に立つということは、人のやり方を理解することで頭ごなしに指導するのは違うと知りました。

-それは職長の業務にも繋がりますね

はい。若い頃は仕事さえできればいいと思っていましたが、職長の業務を通して、建築に携わっていて良かった。人との関わりが大事だと身にしみました。修一さんのやり方をずっと見ていたので、そこで学んだところを支えにしながら、自分だったらこうしよう。と模索していきました。仕事はまだ自分も勉強。プライベートではギターを習いたいですね!


培ってきた豊富な経験に奢ることなく謙虚であり続ける姿勢は、真のハングリー精神の持ち主だと感じさせる。

2015年8月2日

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