先輩たちのストーリー

園田綱貴/そのだつなき

宮崎県 出身、 昭和50年生

B型 、 てんびん座

178cm ・ 82kg

趣味: バイク

■繋がり

・園田求(父)
・富士さん(職長)
・岡ちゃん(番頭)
・小関錠仁(先輩)

いくつになっても、ワイワイやっていきたい。

-左官の仕事を始められたきっかけをお聞かせください。

小学校3年生から剣道を始め、地元宮崎の中学校では剣道部の部長を務めていました。負けず嫌いの気質もあったからでしょうか、部活は真剣に取組んでいました。卒業後は進学の予定でしたが、なぜか、高校入試の日に逃げ出したんです(笑)。若かったですね。逃げ出した翌日には、西谷工業に勤めていた父に連れられ成田空港にいました。それが初めての現場であり、西谷工業に入ったきっかけです。

-16歳で現場の生活へと一変してどうでしたか?

いきなり成田の現場で1年間の住込みですから嫌でしたね。翌年は江戸川区の宿舎。当時の経験は40歳を過ぎた今でこそ糧になっていますが、20歳までは遊びたい盛りで、京都や各地のタコ部屋を転々としたこともありました。人の顔を積極的に覚える事もなく、尖った悪ガキだったかもしれません。

-転機が訪れたのはいつ、どんなきっかけでしたか?

23歳以降ですね。父が体調を崩して地元宮崎に帰ったり、もっと技術を覚えたいという意識が芽生え始めた頃、当時の番頭「岡ちゃん」が次に目指すべき道を示してくれました。職人ですから言葉に出すことはありませんが、感謝しています。

-思い入れのある現場はありますか?

社長(現会長西谷初行)に「明日から横須賀の現場のでリーダーをやってくれ」と、6~7人の職人を突然預けられたんです。若かったですし、ノウハウも経験もなく、苦難の時期でした。
あとは茨城の大洗水族館でしょうか。たった一人で1年間任された初めてのJVだったので、サブコンや他の班や組の方々との交流の仕方が身に着きました。職長だった「富士さん」にはよく相談に乗って頂きました。

-職長として周囲から高評価ですが、怖がられてるのですか?

僕、怖いですか?高評価?自分では意識がないですね。
職長というのは板挟みですからやるもんじゃない。とすら思います。職長をやっているからには、人より苦しまないといけないんです。時には仕事を頂けるよう付き合いもありますが、そこで現場の主張を曲げないのも自分流です。当たり前の事を如何に早く事故なくできるかです。そうこうしながら、いくつになっても現場でずっとワイワイやっていきたいっすよ。


16歳で父に連れられ上京してから4半世紀。多くの現場を経験しながらも自分らしさを持ち続けるスタイルは、現場主義の本質を捉え、後輩からの信頼にも繋がっている

2015年3月6日

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